半分以下のページ数で済む内容では・・・?
☆☆
経験や本で得た知識等を総動員して、勘を働かせつつ(それを「仮説」と呼ぶかどうかは別として)ストーリーをつくり、それがデータ等で裏づけできるかどか検証するというプロセスは、意識しているか否かはともかくも、そこそこ経験を積んだ、まともなビジネスマンなら多少なりともやっているはずである。それ以上の何かを期待して読み始めると失望する可能性大である。前半は同じような文章が何度も出てきて、「まともに編集したのか?」という印象を受ける。また、当たり前すぎるような例示が多く、読んでいて新鮮味がない。本書の半分以下の分量で十分に書ける内容を冗漫にして一冊の本に仕立て上げたという印象は拭えない(きっと著者ご本人が書かれたのではないのかも・・・)。例えば、「問題解決プロフェッショナル 思考と技術」(齋藤 嘉則著)という本に15ページ程度であるが仮説思考に関する章があるが、こちらの方が簡潔で、且つ他の思考技術との関係等も理解できて良いのではないかと思う。
book reviews, etc. Note that reviews prior to April, 2010 are mostly the same as those found at Amazon.co.jp or Amazon.com
Sunday, August 6, 2006
Sunday, October 9, 2005
[Book Review] The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century
フラット化する世界を多面的に活き活きと描写
(書評は増補版ではなく最初の版↓に対するものです)
(こちらは増補版及びその邦訳↓)
地球を小さく平らにしている(フラット化)大きなうねりを政治(ベルリンの壁崩壊に伴う東西世界分裂の終焉)、テクノロジー、ソフトウェア、アウトソーシング、インソーシング、物流網等の点から多面的に活き活きと描写している。例えば"The Only Sustainable Edge" (John Hagel、他著)で指摘されているoutsourcing/off-shoringは単なる低賃金の利用自体が優位性の源泉ではなく生産性や仕事のクオリティを追及した結果としての企業の行動現象であるといった面も、本書で明確に描かれている。
また、フラット化した世界での競争力の源泉は必然的に教育や異なるもの・新しいものに対する受容的な姿勢といったものであること。その一方で、こうした世界のフラット化と相克する、過激な(=新しい時代への適応不全を起こしている)宗教思想と、世界の進化を「侮辱・屈辱 (humiliation)」という捉える一部の人々の精神構造や、フラット化の阻害要因となる膨大な数の世界の貧困層底上げに向けての市場原理とプライベート・セクターを積極的に活用して成功している例の描写は非常に興味深い。
「ゆとり教育」という名の下に、世界の流れに逆行して競争力低下を招く愚作を展開した日本の過去20年余り(?)の教育改革(改悪)や、英語教育のレベルの圧倒的な低さに伴う世界とcollaborateする能力や受容性の欠如を考えると、フラット化した世界での日本の将来は余り明るいものではないと思わざるを得ないが、一方で、こういう世界に職業人個人としてどうやって対処していくか、また自分の子供をどうやって教育してあげられるのか、と考える多くの材料を提供してくれる。
文句なしに今年になってこれまでに読んだ中で最高の本です。
*****
【独り言】ところで、上記の書評をAmazon.co.jpに掲載したのが2005年10月9日。この書評の題を「フラット化する世界を多面的に活き活きと描写」とした。「フラット化する世界」と表現した書評は、それまでは無かったはず。それから半年以上が経ち翻訳版(増補版ではない最初のもの)の出版日は翌2006年5月25日。邦訳名「フラット化する世界」を見てビックリ。「おい、これは、オレの書評のパクリかよ...」翻訳者からも出版社からも特に連絡も無し...。
(書評は増補版ではなく最初の版↓に対するものです)
(こちらは増補版及びその邦訳↓)
地球を小さく平らにしている(フラット化)大きなうねりを政治(ベルリンの壁崩壊に伴う東西世界分裂の終焉)、テクノロジー、ソフトウェア、アウトソーシング、インソーシング、物流網等の点から多面的に活き活きと描写している。例えば"The Only Sustainable Edge" (John Hagel、他著)で指摘されているoutsourcing/off-shoringは単なる低賃金の利用自体が優位性の源泉ではなく生産性や仕事のクオリティを追及した結果としての企業の行動現象であるといった面も、本書で明確に描かれている。
また、フラット化した世界での競争力の源泉は必然的に教育や異なるもの・新しいものに対する受容的な姿勢といったものであること。その一方で、こうした世界のフラット化と相克する、過激な(=新しい時代への適応不全を起こしている)宗教思想と、世界の進化を「侮辱・屈辱 (humiliation)」という捉える一部の人々の精神構造や、フラット化の阻害要因となる膨大な数の世界の貧困層底上げに向けての市場原理とプライベート・セクターを積極的に活用して成功している例の描写は非常に興味深い。
「ゆとり教育」という名の下に、世界の流れに逆行して競争力低下を招く愚作を展開した日本の過去20年余り(?)の教育改革(改悪)や、英語教育のレベルの圧倒的な低さに伴う世界とcollaborateする能力や受容性の欠如を考えると、フラット化した世界での日本の将来は余り明るいものではないと思わざるを得ないが、一方で、こういう世界に職業人個人としてどうやって対処していくか、また自分の子供をどうやって教育してあげられるのか、と考える多くの材料を提供してくれる。
文句なしに今年になってこれまでに読んだ中で最高の本です。
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【独り言】ところで、上記の書評をAmazon.co.jpに掲載したのが2005年10月9日。この書評の題を「フラット化する世界を多面的に活き活きと描写」とした。「フラット化する世界」と表現した書評は、それまでは無かったはず。それから半年以上が経ち翻訳版(増補版ではない最初のもの)の出版日は翌2006年5月25日。邦訳名「フラット化する世界」を見てビックリ。「おい、これは、オレの書評のパクリかよ...」翻訳者からも出版社からも特に連絡も無し...。
Saturday, August 7, 2004
[Book Review] Accounting Theory: Conceptual Issues in a Political and Economic Environment
アメリカ会計学の強さを実感できるテキスト
以前Amazonで下記の書評を書いたのは↓コレであるが、
最近では、こちらのテキストに進化したようだ。
☆☆☆☆☆
(以下8/7/2004時点でのレビューコメントです)
私が、その昔ビジネススクールで1997年に履修したAccounting Theoryのクラスで使用したテキスト(当時は4th editionでした)のひとつです。会計理論のクラスというのは数字などは殆ど使わなず、トピック毎のプレゼンテーションとディシカッションが延々と繰り広げられるという授業形式でした。
私は日本の会計は余りかじっていないので、私の会計を見る眼には元来「米国びいき」のバイアスがかかっているかもしれませんが、それを承知で言えば、こういう本を読むと、本当に米国会計の基礎の厚みが良く分かりますし、逆に日本の会計にはバックボーンとしての会計のconceptual frameworkが恐ろしいほど欠落していると感じざるを得ません。日本では会計理論自体が薄っぺらである(或いはそもそも存在しない)ことと関連し、会計とファイナンス理論・経済学を関連づけて勉強するような機会が無いせいでしょうか、一般論として、日本で会計を学んだ人は所謂簿記論のようなテクニカルな面に長けている人は多い反面、そのベースとなっている理論的な基礎の理解が脆弱であるように感じます。
例えば、会計の世界でここ数十年のP/L重視からB/S重視(asset-liability approach)への大きなうねり、時価会計、ファイナンス理論での企業評価、包括利益の概念、等々といったものは個々に存在するのではなくて、ベースのところで理論としては一本筋が通った形で密接に関連しあっているということ、そしてそのコンセプトにはファイナンスや経済学が大きな影響を与えているということは、本書のような米国会計理論のテキストを読めば非常に良く分かります。私の会計観に大きな影響を与えた1冊です。
以前Amazonで下記の書評を書いたのは↓コレであるが、
最近では、こちらのテキストに進化したようだ。
☆☆☆☆☆
(以下8/7/2004時点でのレビューコメントです)
私が、その昔ビジネススクールで1997年に履修したAccounting Theoryのクラスで使用したテキスト(当時は4th editionでした)のひとつです。会計理論のクラスというのは数字などは殆ど使わなず、トピック毎のプレゼンテーションとディシカッションが延々と繰り広げられるという授業形式でした。
私は日本の会計は余りかじっていないので、私の会計を見る眼には元来「米国びいき」のバイアスがかかっているかもしれませんが、それを承知で言えば、こういう本を読むと、本当に米国会計の基礎の厚みが良く分かりますし、逆に日本の会計にはバックボーンとしての会計のconceptual frameworkが恐ろしいほど欠落していると感じざるを得ません。日本では会計理論自体が薄っぺらである(或いはそもそも存在しない)ことと関連し、会計とファイナンス理論・経済学を関連づけて勉強するような機会が無いせいでしょうか、一般論として、日本で会計を学んだ人は所謂簿記論のようなテクニカルな面に長けている人は多い反面、そのベースとなっている理論的な基礎の理解が脆弱であるように感じます。
例えば、会計の世界でここ数十年のP/L重視からB/S重視(asset-liability approach)への大きなうねり、時価会計、ファイナンス理論での企業評価、包括利益の概念、等々といったものは個々に存在するのではなくて、ベースのところで理論としては一本筋が通った形で密接に関連しあっているということ、そしてそのコンセプトにはファイナンスや経済学が大きな影響を与えているということは、本書のような米国会計理論のテキストを読めば非常に良く分かります。私の会計観に大きな影響を与えた1冊です。
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