トレーディングの経験と広範な分野の幅広い知識をを縦横無尽に駆使した「奇知」の凝縮
☆☆☆☆☆
これ程奥深く幅広い知識と経験を縦横無尽に散りばめた「奇知」に富む本には、そう滅多には出合えないのではないか、というのが正直な感想である。哲学者カール・ポパーに心酔する現役トレーダーが、自らの経験・確率論・哲学・経済学・心理学・古典等々の引き出しから次々と材料を取り出して、 Randomnessを軸に持論を展開していく。また、一般に重要だと思われているニュースや「情報」が、トレーディングの観点からは、如何に意味の無い単なる「ノイズ」であるかを説得力ある形で述べている。議論が広範に及ぶ為、浅薄な自分には理解の及ばない部分も多くあると思うが、とにかく常識に囚われない視点が新鮮且つユニークであり、確率やリスクに関して、今までとは全く異なる視点が得られた。新著”Black Swan”の発売が間もなくであるが楽しみである。
book reviews, etc. Note that reviews prior to April, 2010 are mostly the same as those found at Amazon.co.jp or Amazon.com
Sunday, April 15, 2007
Saturday, March 17, 2007
[Book Review] When Genius Failed: The Rise and Fall of Long-Term Capital Management
分布曲線のの両端が細くなだらかだとは限らない
☆☆☆☆☆
パートナーに2人のノーベル経済学賞受賞者を含む最高の頭脳集団で構成されたヘッジファンドLTCMの劇的な盛衰のドラマを描いた秀逸な作品。アジアの通貨危機、ロシアの債務不履行に翻弄されるパニック状態の市場環境下で、過去のパターンのから未来を予測する数学モデルへの過信とEfficient Market HypothesisやRandom Walkへの盲信(仮説と事実を履き違える)に基づくポジショニングが、ことごとく裏目に出る様子、思惑の異なる主要銀行各行によるLCTM救済への道程の描写は、差し迫った緊迫感が伝わってくる。
また、市場は必ずしもrandom walkではない(≒分布曲線の両端が細くなだらかな曲線になっているとは限らない[curve with fat tails])ということを、コイン投げ(1回1回が互いに独立した感情に左右されない行為)とマーケットでの価格形成(記憶や感情を含む)の比較や、 riskとuncertaintyを峻別して記述しているChapter 4 “Dear Investors” は統計やファイナンスの基礎的な知識のある読者には興味深いのではないだろうか。
☆☆☆☆☆
パートナーに2人のノーベル経済学賞受賞者を含む最高の頭脳集団で構成されたヘッジファンドLTCMの劇的な盛衰のドラマを描いた秀逸な作品。アジアの通貨危機、ロシアの債務不履行に翻弄されるパニック状態の市場環境下で、過去のパターンのから未来を予測する数学モデルへの過信とEfficient Market HypothesisやRandom Walkへの盲信(仮説と事実を履き違える)に基づくポジショニングが、ことごとく裏目に出る様子、思惑の異なる主要銀行各行によるLCTM救済への道程の描写は、差し迫った緊迫感が伝わってくる。
また、市場は必ずしもrandom walkではない(≒分布曲線の両端が細くなだらかな曲線になっているとは限らない[curve with fat tails])ということを、コイン投げ(1回1回が互いに独立した感情に左右されない行為)とマーケットでの価格形成(記憶や感情を含む)の比較や、 riskとuncertaintyを峻別して記述しているChapter 4 “Dear Investors” は統計やファイナンスの基礎的な知識のある読者には興味深いのではないだろうか。
Tuesday, January 2, 2007
[Book Review] Hard Facts, Dangerous Half-Truths, and Total Nonsense: Profiting from Evidence-based Management
百家争鳴のマネジメントの諸理論・方法論を峻別する一服の清涼剤
医学の現場では普通に行われているevidence-based(実証に基づいた)アプローチが、マネジメントの現場では軽んじられていることから説き起こし、次々と世に出てくるマネジメントの考え方や方法論のうち、どれが根拠に乏しく実効性の無いモノで、どれは実証に基づいた使用に耐え得るモノなのかを峻別することの大切さを説く。実証とは必ずしも、全てを定量分析から判断する訳ではなく、常識と論理的思考から「まやかし理論」を見抜くことが可能であると説く。また、全くのナンセンスなマネジメント理論は論外だとしても、中途半端に正しいような方法論や考え方を、置かれた状況判断をせずに適用することがもたらす悪影響にも警鐘を鳴らしている。
例えば、本書で取り上げられている話題としては、ストック・オプションや成果主義人事の企業業績との関係、仕事とそれ以外を区分するという考え方の是非、「選択と集中」が及ぼす経営の舵取りのリスク、一時期話題になったビジネス書”The War For Talent”(「ウォー・フォー・タレント-人材育成競争」)で展開される逆さまの因果関係の誤謬、等々、著名なコンサルや経営学者の主張を受け売りする前に、自分の頭で考えることの大切さを促す一服の清涼剤である。
医学の現場では普通に行われているevidence-based(実証に基づいた)アプローチが、マネジメントの現場では軽んじられていることから説き起こし、次々と世に出てくるマネジメントの考え方や方法論のうち、どれが根拠に乏しく実効性の無いモノで、どれは実証に基づいた使用に耐え得るモノなのかを峻別することの大切さを説く。実証とは必ずしも、全てを定量分析から判断する訳ではなく、常識と論理的思考から「まやかし理論」を見抜くことが可能であると説く。また、全くのナンセンスなマネジメント理論は論外だとしても、中途半端に正しいような方法論や考え方を、置かれた状況判断をせずに適用することがもたらす悪影響にも警鐘を鳴らしている。
例えば、本書で取り上げられている話題としては、ストック・オプションや成果主義人事の企業業績との関係、仕事とそれ以外を区分するという考え方の是非、「選択と集中」が及ぼす経営の舵取りのリスク、一時期話題になったビジネス書”The War For Talent”(「ウォー・フォー・タレント-人材育成競争」)で展開される逆さまの因果関係の誤謬、等々、著名なコンサルや経営学者の主張を受け売りする前に、自分の頭で考えることの大切さを促す一服の清涼剤である。
Tuesday, September 26, 2006
[Book Review] A Whole New Mind: Why Right-Brainers Will Rule the Future
「左脳よりも右脳の時代」と言うよりは、「全体感を持って物事を文脈で捉えて判断できる」か否か?ということ
☆☆☆☆
ロジックや分析といった左脳中心から、全体感・ストーリー・共感.....といった右脳を活用した能力が重要になってきていることを説いている。しかし、右脳・左脳の議論を持ち出す迄もなく、これは昔も今も今後も(程度の差こそあれ)変わらない事実だと思う。Thomas Friedmanの”The World Is Flat”(邦訳「フラット化する世界」)を読んで自分の仕事環境を見渡してみれば明らかなように、アウトソーシングやオフショアが突きつけていることというのは、仕事の領域に関わらず「業務処理系」の仕事は低賃金国との競争に巻き込まれる一方で、「判断系(=物事を適切な文脈で全体感を持って解釈し判断する業務)」の仕事は、その可能性は低いということだ。
自分自身の領域である財務・経理関連を見てみても、帳簿をつけたりするだけの「処理系」は低賃金国との競争で淘汰されやすく、一方、数字とビジネスの実態を繋ぎ合わせて適切な文脈で解釈し、事業の方向性等の決定に寄与するような「判断系」の仕事は、その限りではない。後者は、本書の言葉で言えば、仕事のプロセス自体が必然的にハイ・タッチであり、仕事のアウトプットとして期待されるものはハイ・コンセプトである。
従い、実態としては著者が言うように「弁護士・会計士・ソフトウェア・エンジニアは左脳型であり・・」という程表面的ではなく、それぞれのプロフェッションの中に、淘汰されやすい処理系と、高付加価値の判断系が存在するのだと思う。だから、こういう時代に個々人が何をすれば良いか?は、自分がやっている仕事の中にヒントがあるのである。問題は、それに気づいてアクションをとれるかどうか?である。
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ロジックや分析といった左脳中心から、全体感・ストーリー・共感.....といった右脳を活用した能力が重要になってきていることを説いている。しかし、右脳・左脳の議論を持ち出す迄もなく、これは昔も今も今後も(程度の差こそあれ)変わらない事実だと思う。Thomas Friedmanの”The World Is Flat”(邦訳「フラット化する世界」)を読んで自分の仕事環境を見渡してみれば明らかなように、アウトソーシングやオフショアが突きつけていることというのは、仕事の領域に関わらず「業務処理系」の仕事は低賃金国との競争に巻き込まれる一方で、「判断系(=物事を適切な文脈で全体感を持って解釈し判断する業務)」の仕事は、その可能性は低いということだ。
自分自身の領域である財務・経理関連を見てみても、帳簿をつけたりするだけの「処理系」は低賃金国との競争で淘汰されやすく、一方、数字とビジネスの実態を繋ぎ合わせて適切な文脈で解釈し、事業の方向性等の決定に寄与するような「判断系」の仕事は、その限りではない。後者は、本書の言葉で言えば、仕事のプロセス自体が必然的にハイ・タッチであり、仕事のアウトプットとして期待されるものはハイ・コンセプトである。
従い、実態としては著者が言うように「弁護士・会計士・ソフトウェア・エンジニアは左脳型であり・・」という程表面的ではなく、それぞれのプロフェッションの中に、淘汰されやすい処理系と、高付加価値の判断系が存在するのだと思う。だから、こういう時代に個々人が何をすれば良いか?は、自分がやっている仕事の中にヒントがあるのである。問題は、それに気づいてアクションをとれるかどうか?である。
Monday, September 11, 2006
[Book Review] The Power of Impossible Thinking: Transform the Business of Your Life and the Life of Your Business
“What you see is what you think.”
☆☆☆☆☆
個々人が乃至は組織が持っている「思考のモデル(mental model)」というものは、世の中や環境・状況の見方・解釈の仕方に関する枠組みを形成している。実際には、「見えている(と思い込んでいる)事実」というのは「内面や考え方を映し出している鏡のようなもの」であり「頭の中で意識しているものや、注意を払っているものしか見えていない」(”What you see is what you think”)。これらのことを読者に解らせようと意図した結果だと思われるが、本の始まり方や特に前半部分の各章の書き出しが実に上手くスリリングでさえある(因みに、こうした考え方は、例えばコーチングで有名なAnthony Robbinsの講演のCDなどを聴いていても言及されることである)。当然ながら、こうした思考のモデルは、場合に拠っては、異なった考え方を排除したり、新しい考えの受容を困難にしたり作用する場合がある。・・・であれば、どのようにすれば新しい思考のモデルを取り込んでいけるのか?を論じている。個人的には、この部分の具体的な方法論よりも、人間や組織というものは、自らの思考の枠組みの囚われの身であるということを、様々な例を挙げつつ「気づき」を与えてくれるという意味で、素晴らしい本だと思う。
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個々人が乃至は組織が持っている「思考のモデル(mental model)」というものは、世の中や環境・状況の見方・解釈の仕方に関する枠組みを形成している。実際には、「見えている(と思い込んでいる)事実」というのは「内面や考え方を映し出している鏡のようなもの」であり「頭の中で意識しているものや、注意を払っているものしか見えていない」(”What you see is what you think”)。これらのことを読者に解らせようと意図した結果だと思われるが、本の始まり方や特に前半部分の各章の書き出しが実に上手くスリリングでさえある(因みに、こうした考え方は、例えばコーチングで有名なAnthony Robbinsの講演のCDなどを聴いていても言及されることである)。当然ながら、こうした思考のモデルは、場合に拠っては、異なった考え方を排除したり、新しい考えの受容を困難にしたり作用する場合がある。・・・であれば、どのようにすれば新しい思考のモデルを取り込んでいけるのか?を論じている。個人的には、この部分の具体的な方法論よりも、人間や組織というものは、自らの思考の枠組みの囚われの身であるということを、様々な例を挙げつつ「気づき」を与えてくれるという意味で、素晴らしい本だと思う。
Sunday, August 6, 2006
[Book Review] 仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法
半分以下のページ数で済む内容では・・・?
☆☆
経験や本で得た知識等を総動員して、勘を働かせつつ(それを「仮説」と呼ぶかどうかは別として)ストーリーをつくり、それがデータ等で裏づけできるかどか検証するというプロセスは、意識しているか否かはともかくも、そこそこ経験を積んだ、まともなビジネスマンなら多少なりともやっているはずである。それ以上の何かを期待して読み始めると失望する可能性大である。前半は同じような文章が何度も出てきて、「まともに編集したのか?」という印象を受ける。また、当たり前すぎるような例示が多く、読んでいて新鮮味がない。本書の半分以下の分量で十分に書ける内容を冗漫にして一冊の本に仕立て上げたという印象は拭えない(きっと著者ご本人が書かれたのではないのかも・・・)。例えば、「問題解決プロフェッショナル 思考と技術」(齋藤 嘉則著)という本に15ページ程度であるが仮説思考に関する章があるが、こちらの方が簡潔で、且つ他の思考技術との関係等も理解できて良いのではないかと思う。
☆☆
経験や本で得た知識等を総動員して、勘を働かせつつ(それを「仮説」と呼ぶかどうかは別として)ストーリーをつくり、それがデータ等で裏づけできるかどか検証するというプロセスは、意識しているか否かはともかくも、そこそこ経験を積んだ、まともなビジネスマンなら多少なりともやっているはずである。それ以上の何かを期待して読み始めると失望する可能性大である。前半は同じような文章が何度も出てきて、「まともに編集したのか?」という印象を受ける。また、当たり前すぎるような例示が多く、読んでいて新鮮味がない。本書の半分以下の分量で十分に書ける内容を冗漫にして一冊の本に仕立て上げたという印象は拭えない(きっと著者ご本人が書かれたのではないのかも・・・)。例えば、「問題解決プロフェッショナル 思考と技術」(齋藤 嘉則著)という本に15ページ程度であるが仮説思考に関する章があるが、こちらの方が簡潔で、且つ他の思考技術との関係等も理解できて良いのではないかと思う。
Sunday, October 9, 2005
[Book Review] The World Is Flat: A Brief History of the Twenty-first Century
フラット化する世界を多面的に活き活きと描写
(書評は増補版ではなく最初の版↓に対するものです)
(こちらは増補版及びその邦訳↓)
地球を小さく平らにしている(フラット化)大きなうねりを政治(ベルリンの壁崩壊に伴う東西世界分裂の終焉)、テクノロジー、ソフトウェア、アウトソーシング、インソーシング、物流網等の点から多面的に活き活きと描写している。例えば"The Only Sustainable Edge" (John Hagel、他著)で指摘されているoutsourcing/off-shoringは単なる低賃金の利用自体が優位性の源泉ではなく生産性や仕事のクオリティを追及した結果としての企業の行動現象であるといった面も、本書で明確に描かれている。
また、フラット化した世界での競争力の源泉は必然的に教育や異なるもの・新しいものに対する受容的な姿勢といったものであること。その一方で、こうした世界のフラット化と相克する、過激な(=新しい時代への適応不全を起こしている)宗教思想と、世界の進化を「侮辱・屈辱 (humiliation)」という捉える一部の人々の精神構造や、フラット化の阻害要因となる膨大な数の世界の貧困層底上げに向けての市場原理とプライベート・セクターを積極的に活用して成功している例の描写は非常に興味深い。
「ゆとり教育」という名の下に、世界の流れに逆行して競争力低下を招く愚作を展開した日本の過去20年余り(?)の教育改革(改悪)や、英語教育のレベルの圧倒的な低さに伴う世界とcollaborateする能力や受容性の欠如を考えると、フラット化した世界での日本の将来は余り明るいものではないと思わざるを得ないが、一方で、こういう世界に職業人個人としてどうやって対処していくか、また自分の子供をどうやって教育してあげられるのか、と考える多くの材料を提供してくれる。
文句なしに今年になってこれまでに読んだ中で最高の本です。
*****
【独り言】ところで、上記の書評をAmazon.co.jpに掲載したのが2005年10月9日。この書評の題を「フラット化する世界を多面的に活き活きと描写」とした。「フラット化する世界」と表現した書評は、それまでは無かったはず。それから半年以上が経ち翻訳版(増補版ではない最初のもの)の出版日は翌2006年5月25日。邦訳名「フラット化する世界」を見てビックリ。「おい、これは、オレの書評のパクリかよ...」翻訳者からも出版社からも特に連絡も無し...。
(書評は増補版ではなく最初の版↓に対するものです)
(こちらは増補版及びその邦訳↓)
地球を小さく平らにしている(フラット化)大きなうねりを政治(ベルリンの壁崩壊に伴う東西世界分裂の終焉)、テクノロジー、ソフトウェア、アウトソーシング、インソーシング、物流網等の点から多面的に活き活きと描写している。例えば"The Only Sustainable Edge" (John Hagel、他著)で指摘されているoutsourcing/off-shoringは単なる低賃金の利用自体が優位性の源泉ではなく生産性や仕事のクオリティを追及した結果としての企業の行動現象であるといった面も、本書で明確に描かれている。
また、フラット化した世界での競争力の源泉は必然的に教育や異なるもの・新しいものに対する受容的な姿勢といったものであること。その一方で、こうした世界のフラット化と相克する、過激な(=新しい時代への適応不全を起こしている)宗教思想と、世界の進化を「侮辱・屈辱 (humiliation)」という捉える一部の人々の精神構造や、フラット化の阻害要因となる膨大な数の世界の貧困層底上げに向けての市場原理とプライベート・セクターを積極的に活用して成功している例の描写は非常に興味深い。
「ゆとり教育」という名の下に、世界の流れに逆行して競争力低下を招く愚作を展開した日本の過去20年余り(?)の教育改革(改悪)や、英語教育のレベルの圧倒的な低さに伴う世界とcollaborateする能力や受容性の欠如を考えると、フラット化した世界での日本の将来は余り明るいものではないと思わざるを得ないが、一方で、こういう世界に職業人個人としてどうやって対処していくか、また自分の子供をどうやって教育してあげられるのか、と考える多くの材料を提供してくれる。
文句なしに今年になってこれまでに読んだ中で最高の本です。
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【独り言】ところで、上記の書評をAmazon.co.jpに掲載したのが2005年10月9日。この書評の題を「フラット化する世界を多面的に活き活きと描写」とした。「フラット化する世界」と表現した書評は、それまでは無かったはず。それから半年以上が経ち翻訳版(増補版ではない最初のもの)の出版日は翌2006年5月25日。邦訳名「フラット化する世界」を見てビックリ。「おい、これは、オレの書評のパクリかよ...」翻訳者からも出版社からも特に連絡も無し...。
Saturday, August 7, 2004
[Book Review] Accounting Theory: Conceptual Issues in a Political and Economic Environment
アメリカ会計学の強さを実感できるテキスト
以前Amazonで下記の書評を書いたのは↓コレであるが、
最近では、こちらのテキストに進化したようだ。
☆☆☆☆☆
(以下8/7/2004時点でのレビューコメントです)
私が、その昔ビジネススクールで1997年に履修したAccounting Theoryのクラスで使用したテキスト(当時は4th editionでした)のひとつです。会計理論のクラスというのは数字などは殆ど使わなず、トピック毎のプレゼンテーションとディシカッションが延々と繰り広げられるという授業形式でした。
私は日本の会計は余りかじっていないので、私の会計を見る眼には元来「米国びいき」のバイアスがかかっているかもしれませんが、それを承知で言えば、こういう本を読むと、本当に米国会計の基礎の厚みが良く分かりますし、逆に日本の会計にはバックボーンとしての会計のconceptual frameworkが恐ろしいほど欠落していると感じざるを得ません。日本では会計理論自体が薄っぺらである(或いはそもそも存在しない)ことと関連し、会計とファイナンス理論・経済学を関連づけて勉強するような機会が無いせいでしょうか、一般論として、日本で会計を学んだ人は所謂簿記論のようなテクニカルな面に長けている人は多い反面、そのベースとなっている理論的な基礎の理解が脆弱であるように感じます。
例えば、会計の世界でここ数十年のP/L重視からB/S重視(asset-liability approach)への大きなうねり、時価会計、ファイナンス理論での企業評価、包括利益の概念、等々といったものは個々に存在するのではなくて、ベースのところで理論としては一本筋が通った形で密接に関連しあっているということ、そしてそのコンセプトにはファイナンスや経済学が大きな影響を与えているということは、本書のような米国会計理論のテキストを読めば非常に良く分かります。私の会計観に大きな影響を与えた1冊です。
以前Amazonで下記の書評を書いたのは↓コレであるが、
最近では、こちらのテキストに進化したようだ。
☆☆☆☆☆
(以下8/7/2004時点でのレビューコメントです)
私が、その昔ビジネススクールで1997年に履修したAccounting Theoryのクラスで使用したテキスト(当時は4th editionでした)のひとつです。会計理論のクラスというのは数字などは殆ど使わなず、トピック毎のプレゼンテーションとディシカッションが延々と繰り広げられるという授業形式でした。
私は日本の会計は余りかじっていないので、私の会計を見る眼には元来「米国びいき」のバイアスがかかっているかもしれませんが、それを承知で言えば、こういう本を読むと、本当に米国会計の基礎の厚みが良く分かりますし、逆に日本の会計にはバックボーンとしての会計のconceptual frameworkが恐ろしいほど欠落していると感じざるを得ません。日本では会計理論自体が薄っぺらである(或いはそもそも存在しない)ことと関連し、会計とファイナンス理論・経済学を関連づけて勉強するような機会が無いせいでしょうか、一般論として、日本で会計を学んだ人は所謂簿記論のようなテクニカルな面に長けている人は多い反面、そのベースとなっている理論的な基礎の理解が脆弱であるように感じます。
例えば、会計の世界でここ数十年のP/L重視からB/S重視(asset-liability approach)への大きなうねり、時価会計、ファイナンス理論での企業評価、包括利益の概念、等々といったものは個々に存在するのではなくて、ベースのところで理論としては一本筋が通った形で密接に関連しあっているということ、そしてそのコンセプトにはファイナンスや経済学が大きな影響を与えているということは、本書のような米国会計理論のテキストを読めば非常に良く分かります。私の会計観に大きな影響を与えた1冊です。
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