Tuesday, August 9, 2016

「東芝 粉飾の原点 内部告発が暴いた闇」

「東芝 粉飾の原点 内部告発が暴いた闇」を読了。
不正の規模は東芝の100分の1くらいながら、10年前に自分が不正会計に対峙した日々の出来事と強烈に重なり合って、なんかもう「手に取るように解る」リアル感だった。

究極的には、こういう社内不正や粉飾に対する解決策は、遠回りなようでも、社会の人材流動化を促進をさせることが最も効果的な予防策だと思う。結局は、余りにも多くの社員がひとつの会社に長く居過ぎて、階層を上に行けばいくほど

  • 「会社を飛び出すことに伴い失うものが大きすぎる」状況と、その一方で、
  • 「飛び出したところで他では食っていけない」という状況に、
  • 「社内の上下や横の人間関係のしがらみ」等が相まって、

感覚と常識が麻痺して、まともな判断ができず正しい行動がとれなくなり、その結果、組織は恐ろしく暴走する。
だから常に、組織というのは、意識的に人材の流動化を推進し、しがらみなど関係なしに、言いたいことが言えて、ぶった切ることができる人間をあらゆる階層に一定割合、社外から入れることによって、組織の健全性を保つ以外にないだろう。

日経ビジネスが昨年夏から公に、東芝粉飾事件に関連しての、社員や取引先等からの「垂れ込み」を募った結果、800件以上の垂れ込みがあったとのことで、その情報を裏取りして書かれている為に、本書も面白い内容になっている。
しかし、その一方で、粉飾発覚前に本件に関する東芝社内の「内部通報制度」の利用はゼロだったという状況が、この会社の深刻さを物語っている。身元が割れることを恐れるから誰も恐くて利用しないということ。完全なガバナンスの失敗であり制度設計ミスである。内部通報が社外取締役だけで運営する委員会に直接通知されてハンドルされるような仕組みも必要だろう。
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1年前にFBにポストしたながーい雑感の再掲↓も併せてご覧ください。

東芝粉飾決算: 本質的な問題はプロフェッショナリズムと胆力の欠如では?





Saturday, August 6, 2016

東芝粉飾決算: 本質的な問題はプロフェッショナリズムと胆力の欠如では?

2015年7月30日に書いた雑感

河合薫さんによる日経ビジネスオンライン記事

「東芝だけじゃない!」 ノーと言えない部下と無能な上司の因果応報
を興味深く読ませていただきました。
以下、当時(2015年7月30日) FBにポストした、ながーーーーーーいコメントの再掲です。

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この記事で引用されていた報告書の「第7章 原因論まとめ」や「第8章
再発防止策(提言)」の内容というのは、まさに絵に描いた餅だと思いますし、これら報告書を受けた、フィナンシャル・タイムズやブルームバーグ・ビューも見当違いのコメントのように感じます。

今回のような東芝の事件というのは、私自身は職業人としての社員個人に焦点をあてて考えていかないとモノの本質は見えてこないのではないかと思っております。こちらサンフランシスコで漸くCFF(Certified in Financial Forensics)の試験も終えて一息ついたので、少し思うところをシェアさせていただこうと思った次第です。
例によって、超「上から目線」で「市場万能主義」的な考え方ですが、お許しを(別に悪いともおもってませんがw)。

伝統的な日系企業一社でずっと勤め上げるという方には多分感覚として分かりようもないのだろうとは思いますが、問題の本質は、職業人(プロフェッショナルとしての)個の確立というのものが著しく欠如しているから、正しいことを言えない、実行できない、結局はサラリーマンながら仕方ないと諦めて「長いものには巻かれる」状態が蔓延して、その結果、「何人も関与している人間がいたのに、誰からも異論が出ないなんて、いったい何やってたんだ?」と不思議に思うくらい組織は暴走してしまう、という構造だと思います。
それが良いとか悪いとか言っても仕方のない話で、現状は日本企業の組織はそういう組織であり、組織を構成している社員平均レベルは(少なくとも大企業では)社会人になった時には相対的に高かったのでしょうが、その後に「職業人としての個人を確立する」という機会も、そういう考え方さえも習得する機会もない状況下では、個の確立した人が育つはずもないという気もします。

では「個を確立する」って具体的にはどういうことなのか?と言えば、自分の職業人としてのプライドや価値観に基づいた行動様式が「その領域のプロであること>勤務先の社員である」という優先順位が明確になっていて、それに基づいて行動できる人だと思います。
今回の東芝ではまさに、ここがポイントの一つだと思いますが、あれだけ多くの事業での不正がまかり通っていて、それに日々関わるファイナンス(財務・経理・経営企画等)の人間は多数いたと思いますが、そこからプロ意識に基づく大きな反乱のようなものも何もなかったのは不思議なことです。相手が社長であろうが、会長であろうが、ダメなものはダメと言って、ファイナンスとして正しいことをやるということを言える人間が居ない(プロ意識と胆力が無い)ということだろうと思います。
逆に、これができるためには、プロ意識、「個の確立」、究極的には、「本件については、俺が責任もって決める領域だ。これ以外(複数あるかもしれないしある程度の幅もあるかもしれない)のやり方は承服しない。文句あるのなら後は勝手にしろ。俺はプロとしての流儀を責任を以って通せないなら降りるから(辞めるから)。」と言えるかどうかだと思います(CFOは当然こういうことが社長に対していえるだけの胆力がなければ話にならないと思います)。これは転職とかも数回して、自分が人材として市場での流動性があり、自分の市場価値もわかっていて、自らの市場価値を上げるような自己研鑽も積み重ねてきており、今啖呵切って辞めても次の職には困らない、という状況になっていないと、とてもじゃないができないと思います。
結局本当のプロフェッショナリズムというのは、そういう逼迫した事態に遭遇・対峙した際にプロとしての流儀を通せる胆力があるかどうか、腹が据わっていて軸がぶれないかどうか?ということに尽きると思います。そして、それは自分の市場での競争力に裏打ちされていないと、どうにもならないと思います。

今回の問題の対策として、トップの意識を変えるだとか、プレッシャーをなくすだとかいうのもナンセンスだし(そんなもの、あるに決まっているし、無くなりもしない)、上司の意向に逆らうことができないという企業風土を改革する、というのも主語が甚だ不明確であり、「誰がするのか?」と言えば、それは「個々人がプロフェッショナルとしての個を確立することによってのみ可能になる」ということをベースとして押さえておかないと、本当に絵に描いた餅だと思います。
私自身は大学を卒業して最初の7年程伝統的な大手鉄鋼会社に勤務した後に辞めて、私費で米国ビジネススクールに留学して、その後は在米の外資を数社経験したのちに、在日外資を数社経験する中で、首切り、日本撤退に伴う事業売却、以前の経営陣による粉飾決算の発覚、社内の派閥争い、グローバルでの買収に伴う日本法人の合併等々いろんなことを経験するなかで、自然と上記のように思うようになりました。
また、その延長上にあると思いますが、私が思うに、キャリアプランだとか、自己研鑽というのは、結局のところは、上記のような状況に遭遇・対峙した際に、自分の価値観をやプロ意識を押し通せる為にやること、だと思っていますし、また、そうして自らの市場価値や流動性を高めることが、勤務先で特に誰かの顔色を眺める必要もなく、自分の考えを表明し、議論して仕事を進めていく、ということが何の苦も無くできることにつながるので、ストレスなく仕事ができる日常をつくりだすことにも大いに寄与していると思っています。こういう考えの是非はともかくも、恐らく転職経験がなく(というか転職していないと個人として市場を意識するというリアルな感覚が分からないだろうということで言っています)、社内純粋培養で知った人たちとの仲間内で遠慮しつつ、軋轢は避けて、組織を跨ぐ先輩後輩の上下関係も尊重して、プロとしての腹決めをするような機会もなく何十年と組織の階段を一歩一歩上っていけば、やはりそもそもマインドセットとして上述のような「職業人としての個の確立」からは非常に遠い世界に居るという状況にならざるを得ないだろうと思います。

余談ですが、だから最近は日本企業での変革を伴う状況でのヘッドハンティングにも、外資でもごたごたの状況で揉まれてきた腹の据わっている人間に声がかかるケースが増えているのだと思います。実際executive
search firmの方に「社内では適材がいないのですか?」と聞いても、「いや、そりゃ無理だと思います。胆力だとか、決断力だとか、スピード感だとか、全く違いますから」という反応が多いです。

日本企業一社にずっと勤務していると、物事を相対化できる機会もないし、自分の市場価値や流動性(転職可能性)も気にしないので、市場価値を上げる為の自己研鑽という視点も生まれてこず、結局は職業人個人としての自分に自信が持てないから、会社にしがみつくしかなく、厳しい状況に対峙しなければならなくなった際に、他人は関係なく自分の職業人としての倫理観や価値観・正義感を押し通すことができない、という構造だと思います。東芝に限ったことではなく、殆どどこの会社でもそうだと思います。
その意味では「単なる組織論ではなく、どうやって魂を入れた経営をしていくべきか、我々もちょっと気を許したら同じ問題に陥るであろう。自身も戒めていきたい」と語ったとされる、経済同友会の小林喜光代表幹事も、多分自分で言っていることのリアルなイメージは全くできていないと思います。「魂を入れる」ということは、勿論、内部統制等の観点から言えば、トップの発するトーンを変えることによって不正を起こさない組織を作っていくというのはあるでしょうが、それは、組織を構成する個々人に個が確立されたような企業であれば、前提条件もある程度整っているだろうとは思いますが、日本の企業組織風土は、とてもとてもそういうところまで行っていないので、体裁を整える以上の効果があるとは思えません。結局は「社員個々人の魂」の問題であり、それは即ち個々人の職業人としての市場競争力をバックにした、厳しい状況になった際に、主体的に自分の価値観やプライドで押し通せるか?上司や経営陣に対して正面から斬りつけることができるか?その結果、返り血を大量に浴びて社内に居場所がなくなるようなことになっても、自分に次の職はあるか?というところまで掘り下げていけないと、まず何の解決にもならないと思います。
表面を取り繕ったものではなく実質的な解決策などあるはずもなく、トップを若返らせても、次にトップになる連中にこういうことがリアルに解っていて実践してきた人間が経営陣の半分くらいはいないと、結局は若返っても中身のメンタリティは同じだと思います。確立した個人が流動化するような企業社会の仕組みを長期的に構築していく以外に有効な手があるとは私には思えません。それじゃぁ組織としての解決策にはなっていない、という話にもなるかもしれませんが、他に実質的な解決策があるなら教えてほしいものだと思います。また、組織のことはおいておいたとしても、その構成員である職業人ひとりひとりの視点で言えば、上記を少しでも実践することによって以外の方法で、職業人としてのプライド・正義・倫理観を通してストレス少なく生きていく方法というのが存在するのかどうか私には見えません。皆がこれをやることは到底無理でしょうが、組織の何割かがこういうマインドの人間にならないと、組織は常に暴走する大きなリスクを孕んでいると感じます。上記では、同じことを何度も繰り返していますが、一言で言えば、個人が強くならないと(=個の確立)、個人も組織にも未来は拓けない、という当たり前のところに落ち着くのだと思います。

追記(これも当時書いたものをそのまま)

「個の確立」には 「個人としての」①「気づき」と②「行動」の両方が必要だと思いますが、世の中的に立派な日本の会社に居るような方々の場合は①が②に繋がらない、というこではないかと思います。その理由は、結局は「そうはいってもサラリーマンだし」みたいなところに起因しているのだと思いますが、それって、個々のレベルでの「自分に対する期待感」だとか「自尊心」とかの話でもあると思いますが、どうすれば良いのか、私も分かりません(笑)。
ちょっと唐突ですが、例えば、「自分が変わるための15の成長戦略: 人は何のために生きるのか、働くのか」(ジョン・C.マクスウェル)とかを読んで、どう思うのか?とか、そういうことと結構密接に関係しているように思います。
一方、企業社会としては、不正の告発等については、例えば、アメリカとかでは、ここ数年のうちに、内部告発者に対して、不正金額の10-30%だったか(正確には記憶していませんが)を報奨金として支払うような制度もできてきていますが(要は不正摘発に関しては社員による監督官庁への密告を奨励する制度)、そういうのも確かに有りだろうととは思います。ただ、こういう制度を導入することで、不正摘発は増えるでしょうが、「個の確立」が促進される事にはつながらないでしょうが。。。。

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