「左脳よりも右脳の時代」と言うよりは、「全体感を持って物事を文脈で捉えて判断できる」か否か?ということ
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ロジックや分析といった左脳中心から、全体感・ストーリー・共感.....といった右脳を活用した能力が重要になってきていることを説いている。しかし、右脳・左脳の議論を持ち出す迄もなく、これは昔も今も今後も(程度の差こそあれ)変わらない事実だと思う。Thomas Friedmanの”The World Is Flat”(邦訳「フラット化する世界」)を読んで自分の仕事環境を見渡してみれば明らかなように、アウトソーシングやオフショアが突きつけていることというのは、仕事の領域に関わらず「業務処理系」の仕事は低賃金国との競争に巻き込まれる一方で、「判断系(=物事を適切な文脈で全体感を持って解釈し判断する業務)」の仕事は、その可能性は低いということだ。
自分自身の領域である財務・経理関連を見てみても、帳簿をつけたりするだけの「処理系」は低賃金国との競争で淘汰されやすく、一方、数字とビジネスの実態を繋ぎ合わせて適切な文脈で解釈し、事業の方向性等の決定に寄与するような「判断系」の仕事は、その限りではない。後者は、本書の言葉で言えば、仕事のプロセス自体が必然的にハイ・タッチであり、仕事のアウトプットとして期待されるものはハイ・コンセプトである。
従い、実態としては著者が言うように「弁護士・会計士・ソフトウェア・エンジニアは左脳型であり・・」という程表面的ではなく、それぞれのプロフェッションの中に、淘汰されやすい処理系と、高付加価値の判断系が存在するのだと思う。だから、こういう時代に個々人が何をすれば良いか?は、自分がやっている仕事の中にヒントがあるのである。問題は、それに気づいてアクションをとれるかどうか?である。
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